絶対美少女

 おんなのこ、とは

私にとっての おんなのこ とは、男女も年齢も関係ない。

 苦しくてもぐるぐるしちゃっても、本当は幸せになりたいの。可愛いとか、素敵とか、キラキラとか、そう言うのに囲まれて生きていたいの。辛さなんて、可愛いで、飲み込んじゃいたいの。

といった感じで生きていきたい人々のことを私はおんなのこ、と思っている。


  私は高校生の頃から「少女」「おんなのこ」「魔法少女」「ピンク」をテーマに作品を作ってきた。

初めて おんなのこ をちゃんと意識して作った作品は、高校二年生頃のものだった。魔法少女とコスメをリンクさせて、メイクをして変身したい、ちょっと強くなりたい、可愛くなりたい、と思うおんなのこたちに向けたコスメのブランディングの提案であった。

年齢層は広くとった。メイクに目覚めた10代から、週末が恋しいお姉様方にまで。

パッケージや、暖簾、袋やパッケージも考えた。高校二年生の拙い私の作品。

でも、そこが私の出発点だったと思う。

 高校生最後の文化祭の展示には、紙製のウェディングドレスを作り、私が着用してピンク色の絵の具をかぶるという作品を出展した。白無垢、純白のウェディングドレスをきたって、過去のいろんなこと汚れちゃった部分は消えない。ピンク色の絵の具は一生こびりついてまとわりついてくる。でも、ピンク色の絵の具がついたウェディングドレスは

ちょっぴり可愛い。

 以来私は身近なおんなのこから、まだ見ぬおんなのこへ届けたい気持ちや言葉を、連ねて、作品にしてきた。

 そんなことを続けていたらいつからか、夜中に死にたくて自傷しちゃう泣いてるおんなのこたちから、話を聞いてよって電話をかけてくれるようなことが多くなった。

私はとても嬉しかった。本当はそんなこと起こらないのが一番いいのだけれど。

  ところで、わたしが絶対美少女と言い続ける理由。

 わたしは決して君にとっては美少女なんかじゃないし、ブサイクで、ダサいかもしれない。でも、こんな私が自分のことわたしは絶対美少女なんだから!幸せになるの!って言ってるんだから、あんたなんてもっと何倍も可愛いわけだし、生きてていい、生きてるだけでみんなから感謝されたっていい、と思う。

絶対美少女という宣言は、わたしにとっては魔法の呪文と一緒だ。わたしは絶対幸せになるし、わたしは絶対キラキラになる。

わたしのことバカにしてる奴らも、影で笑ってる奴らも、私が私らしく幸せになったら私の勝ちでしょ。

私は絶対美少女だってこれからも言い続けるし、君のが可愛いんだから、君は生きてていいに決まってるって、証明するための作品を作り続けるよ。

今に見てろよ。わたしは絶対わたしらしく可愛くキラキラに幸せになってやるから。

影で笑ってた奴らもまとめていっしょにおんなのこにして幸せにしてやるよ。

手紙 たまてばこ より

  

拝啓


  陽の光が頬に優しくなって来ましたね。お元気ですか。最近のわたしは、自分の命と有限の時間について考えるようになりました。

命は順番でわたしは誰かから命を引き継いだのかな。わたしは今を生きなければならないのに、この頃のわたしはいつだって過去や未来に想いを馳せてばかりで難しいよ。最期の日はいつだって怖いし、大切な人とはまだまだずっと永く一緒にいたいと思ってしまう。

なんでだか生きているということは、時々よく分からなくなってしまって本当は肌に全て何もかもをぶつけて、自分の足でしっかり立って地面を感じて生きていたいのだけれど、わたしは生ぬるく服を着て靴を履いているから、この都会で時々駅とかで一人取り残されているような気持ちになって立ち尽くしてしまうよ。

 もう会えない人もいるし、いつ切れるか分からない縁で繋がっている大切な人も沢山いるけれども、どの人とも繋がった命だけれど、わたしは今、2000118日に生を受けたわたしの命は、2000117日に生まれた小川花梨から渡されたと思いたい。一緒に今を生きている小川花梨から私は命を渡されたんだよ。嘘だっていいけれど、2019117日から18日にかけてはそれを本気で信じていたんだ。

  朝の窓がきらきらの電車で聞くナンバーガールも、夏のバスの効きすぎた冷房も、ティーシャツに羽織るカーディガンが切ない夕方も、白い息を吐いて泣きそうな暗い坂道もそれは全部わたしにとっては生きているってことなんだね。

   何が言いたいのか分からなくなってしまったけれど、この気持ちのいい今日がずっと続くわけではないから、わたしはあの初めて出会った日の小川花梨の笑顔が泣けるくらい好きだから、今のわたしが生きるということ、誰かに私が生きていて欲しいと願う気持ち、全部どうにかして美味しい何かにしてしまいたいんだ。

  ねえ、あの人もあの人もあの人も全部わたしがずっと幸せを願っているからあなたのことも、だから、今だけにいつも生きていてね。

                                                          敬具


     20193


                                                          百音

おはようとおやすみと愛してる

好きも大好きも愛してるもラブもおはようもおやすみもキスも全部ごちゃまぜにしてコトコト煮込んだらどんな味になるんだろう。家族も、友達も、恋人も、そのどれにも当てはまらない大切な人も、みんな全部煮込んでしまおう。
私はあなたが好きだよ。愛してるけど、大っ嫌いだよ。
私の気持ちはむつかしい。

普通の女の子

こちら側とあちら側。太陽と月。白と黒。

あなたとわたしの間には互いを隔てる薄くて透明な、でも絶対に壊すことができない膜がある。

ここから先あなたとわたしは絶対に混ざり合うことなく生きて行くんだ。

本当はそんな風に境界線なんて引かなくていいけど、生きていると嫌でも感じてしまう。

あっちとこっちは違うんだ。あちらにいるあなたは、こちらにいるわたしの気持ちを理解することなんて絶対に不可能だし、わたしだってそうだ。

もしかしたらやっぱり境界線なんてないのかもしれないと思ったりする日もあるが、わたしには絶対にあるあの境界線を見て見ぬ振りして生きて行くなんて無理だ。

若いからかもしれない。これから先長く生きて行くうちに、本当は境界線なんてなかったと思うかもしれない。

でも、18歳の12月のわたしはたしかにそう思ったんだ。


恋なんてしなくても生きていけるし、ろくに食べなくても、漫画や音楽がなくても、本なんて読まなくたって、劇なんて見なくても、生きていける。

でもそうじゃないと思ったから、わたしは今日もどうにかして何か無駄なことをして、しなくても生きていけることを大切にしたい。

境界線とかきっと馬鹿馬鹿しいけど、わたしにとっては本当に大きいものなんだもん。

東京

 冬の冷たい空気にさらされて朝のバス停でふと考える。よくここまでうっかり死んでしまうこともなく、わたしたち、ちゃんと生きてこれたな。気を張らないと死んでしまいそうな日もあったのに。

明日死んでしまうかもしれないと、生き急いだ昨日もあったし、絶望の淵に立たされてあと少し追い風が吹くだけで永遠の終わりの奈落の底に落ちてしまいそうなギリギリで生きていた一昨日もあった。

それでも今日は、朝の光が窓からさして心地いいお風呂に入ったし、コンビニでドーナツを買うか悩んで結局コーヒーを買ったし、お昼にはカレーライスが食べたいと思いながら両足でしっかり立っている。

不思議なものだと思う。車に轢かれそうになったり、小さい頃高熱をだして深夜病院に行って点滴を打ったり。

心の底から愛する人に拒絶されたり。

誰かに愛されるのは当たり前のことではないと幼いながら知ってしまった時も、誰もが私を透明人間にした日々もあった。

それでもなんでかなんとか生きている。

今日の夜はたぶんあの人との待ち合わせにしゃんとしてルージュを塗り直しておしゃれして西口の交番に向かっている。

東京で奇跡的に生き延びたんだなあと思う。



トビウオとお月様

電車の箱の中の喧騒は泣きたくなっちゃう

私の頭の中にはトビウオが住み着いて夜空色の海でいっぱいいっぱいなのに暴れるからいつもチャポチャポしてる。
綺麗な色の海なのに、トビウオが暴れるせいでいつも静まることがなくて、でもいつも大荒れなわけでもない。
トビウオは一匹しか住んでいないから、きっと寂しい。
対する私はいつも世の中私の思い通りにいかなきゃやだやだと、泣いちゃう。
でもあんまり泣いてばかりだと、頭の中の海がいっぱいいっぱいになって、トビウオが自由に泳げなくなってしまうから、ちゃんと笑顔を混ぜてキラキラの紫をそっとまつげからふるい落とす。
海の底には一体何があるんだろう。
きっと海の底は宇宙と同じで終わりがない底なしなんだと思う。
永遠に続く海に一匹だけ残されたトビウオは毎日何を思って泳いでるんだろう。
この海に朝が来ることはないから、トビウオは朝を知らない。
朝を知らないから太陽を知らない。でもそのかわりに、月は知っている。
トビウオが泣いちゃう夜はお月様の高さを羨む。羨ましくて一生懸命飛び上がるけど、月には届かないんだ。
そんなトビウオが私は愛おしい。頭の中にいるから直接見たことはないけれど、お互いにお互いを知っているんだ。

これは秘密なんだけど、私がいつものそりのそりと歩くのは、実はこの海が頭から溢れてトビウオが悲しまないようになんだ。

クリームソーダ越しの恋人

  ひんやり冷たくて、爽やかに甘ったるくて、しゅわしゅわは一瞬むせ返るほどだけど、やっぱり甘くて酸っぱいような気もする緑は溶けるように甘い液体に戻って行く。

決してメロンの香りはしないあの緑の上にちょこんとバニラの高貴なアイスクリーム、または安っぽい軽い心地のアイスクリーム、または油っぽいふわふわホイップクリーム

そしてそれらの上にちょこんと居座るのは一番小さいくせして主役顔の真っ赤なおもちゃみたいなさくらんぼ。たまにミントも一緒に乗っていたりして。

この世にいろんなクリームソーダはあれど、私の思い描くクリームソーダはこんな感じ。

高級なシェフの手の込んだ見た目も味もこの世のものとは思えないほどのフレンチ料理のデザートよりも美味しいかと言われたら、決してそんなことはない。

それでも私はクリームソーダが大好きだ。最期の食事にクリームソーダを飲みたいかと言われたらわからない。でも、私は喫茶店に行けば必ずクリームソーダを頼む。クリームソーダの儚さは悲しくなるほど美しい。

 

  ところで私は自分の容姿に恐ろしいほど自信がないから、「私は、絶対美少女なんだから!」という気持ちで常に生きている。自分の容姿を他人と比べられると泣き叫んで暴れたくなるし比べた相手と比べられた相手を罵倒したくなる。

 私がこう考えるようになったのは、恐らく自分の容姿を貶められながら育ってきたからだろう。妹はお目目がぱっちりクリクリしていて綺麗な平行二重で、鼻も上品に小さくて、唇もちょこんとピンクで整っていて、ちょっとふっくらした頬が健康的で、髪の毛はふわふわくるくるフランス人形みたいな少女であった。対する私は日本人形のような少女であった。どこに言っても「可愛い妹さんね」「お姉ちゃんとは雰囲気が全然違うね似てないね」と言われてきた。幼い私は傷つくこともなく、自分の容姿に興味はなくて、ただただニコニコ笑っていた。しかし、いつからか私の性格はいびつに歪み始め、ニコニコ笑顔がニヤニヤ笑顔になり、ダークサイドに堕ちるベイダー卿さながらに完全にあちら側の女になってしまったのだ。

そこから私のコンプレックスは爆発して暴走して「鏡よ鏡!世界で一番美しいのはだあれ?」が始まったのです。

最初は異常なほど顔面を覆い隠して自分で自分を蔑んでいたが、だんだんと「私は可愛い!私は絶対美少女なのである!」と自分で自分に言い聞かせるという姿勢に変わって言ったのである。(私が笑う時口元を手で覆う癖も、恥ずかしいとか両サイドの髪の毛で顔を覆う癖も、あの頃からの癖である。)

  さて現在。

私の顔は可愛いのです。誰がなんと言おうと、本気でそんなこと思ってないけど。でも可愛いのです。絶対美少女であり、美しいのです。日本人形上等であります。

  このように歪んでしまった私は、私が好まない女たちのことが大嫌いになったのです。悪口はいうし、晒しあげるし、それはもうひどいもので泣き叫んで恋人に「私以上に可愛い女の子なんているわけないでしょ!」と噛み付く。


 そんな私はクリームソーダのような顔でいたい。高級フレンチには勝てなくても、クリームソーダのように可愛がられて愛されたいのです。

そしてクリームソーダ越しの彼。クリームソーダ越しの存在。これ以上は語らないけど、そんな気持ち。


 (ところで「クリームソーダ越しの恋人」と名付けたこの文章ですが、こちらの名前の由来をご存知の方もいらっしゃるでしょうか。)