手紙 たまてばこ より

  

拝啓


  陽の光が頬に優しくなって来ましたね。お元気ですか。最近のわたしは、自分の命と有限の時間について考えるようになりました。

命は順番でわたしは誰かから命を引き継いだのかな。わたしは今を生きなければならないのに、この頃のわたしはいつだって過去や未来に想いを馳せてばかりで難しいよ。最期の日はいつだって怖いし、大切な人とはまだまだずっと永く一緒にいたいと思ってしまう。

なんでだか生きているということは、時々よく分からなくなってしまって本当は肌に全て何もかもをぶつけて、自分の足でしっかり立って地面を感じて生きていたいのだけれど、わたしは生ぬるく服を着て靴を履いているから、この都会で時々駅とかで一人取り残されているような気持ちになって立ち尽くしてしまうよ。

 もう会えない人もいるし、いつ切れるか分からない縁で繋がっている大切な人も沢山いるけれども、どの人とも繋がった命だけれど、わたしは今、2000118日に生を受けたわたしの命は、2000117日に生まれた小川花梨から渡されたと思いたい。一緒に今を生きている小川花梨から私は命を渡されたんだよ。嘘だっていいけれど、2019117日から18日にかけてはそれを本気で信じていたんだ。

  朝の窓がきらきらの電車で聞くナンバーガールも、夏のバスの効きすぎた冷房も、ティーシャツに羽織るカーディガンが切ない夕方も、白い息を吐いて泣きそうな暗い坂道もそれは全部わたしにとっては生きているってことなんだね。

   何が言いたいのか分からなくなってしまったけれど、この気持ちのいい今日がずっと続くわけではないから、わたしはあの初めて出会った日の小川花梨の笑顔が泣けるくらい好きだから、今のわたしが生きるということ、誰かに私が生きていて欲しいと願う気持ち、全部どうにかして美味しい何かにしてしまいたいんだ。

  ねえ、あの人もあの人もあの人も全部わたしがずっと幸せを願っているからあなたのことも、だから、今だけにいつも生きていてね。

                                                          敬具


     20193


                                                          百音